第4回 津軽三味線と他の三味線って何が違うの?

今回は、当シリーズの第3巻に収録されている「津軽三味線」とはどういうものなのか、ということをお話していきたいと思います。


津軽三味線の生まれた背景

中国で生まれた楽器「三絃(サンシェン)」が、戦国時代の頃(1400~1500年頃)琉球王府(沖縄)に持ち込まれ、「三線(サンシン)」になりました。さらに室町時代末期(1560年前後)、この楽器は本土へと伝わりました。本土にはニシキヘビが少なかったことから蛇皮に代わって犬や猫の皮が使われるように改良され、「三味線」と呼ばれるようになったと言われています。

三絃(サンシェン)
三絃(サンシェン)
画像:Wikipediaより
三線(サンシン)
三線(サンシン)
画像:Wikipediaより
津軽三味線
津軽三味線
 

その後三味線は日本各地へ広がり、それぞれの風土と融合して様々に発達していきました。
津軽地方では、「門付け」(カドヅケ)を行う盲人芸として発達していきました。
門付けとは、家々の門の前に立って三味線の弾き語りをしてその報酬としてお金や食料(米など)をもらう芸のことです。

そして現在の「津軽三味線」としてのスタイルをつくったのは仁太坊(にたぼう:本名・秋元仁太郎/安政4年~昭和3年)という人だと言われています。

仁太坊は8歳の時、当時流行っていた天然痘で失明してしまい、門付けの男盲の芸人「坊さま(ボサマ)」として日々の糧を稼ぐ道を余儀なくされてしまいます。しかし門付けは他の人の真似事では何も貰えないことに気付いた仁太坊は、生きていくために他の人と違うことをと思い、より聴衆を喜ばせようと激しく三味線を叩くような演奏を始めました。するとそれまで津軽地方では一般的だった細棹の三味線では弦が切れたり皮が破れたりしたため、太棹三味線に持ち替え、猫皮より強い犬皮を用いるようになったと言われています。

また、撥(バチ)は長唄や義太夫等に使われる象牙撥や練り撥(プラスチック)では力強く叩くと折れてしまうため、鼈甲(ベッコウ)素材で、速弾きに適した小振りなものが使われるようになりました。

これが今も受け継がれている津軽三味線の原点です。


即興

津軽三味線は前述したように元来盲人芸であったため、楽譜はなく、即興で演奏されてきました。ですから同じ曲でも演奏者によって構成が違い、また同じ奏者でも弾くたびに変わります。

ダイナミックでリズミカルな即興性に富んだ奏法は、ジャズやロック、ブルースをも彷彿とさせます。これもまた津軽三味線音楽が若者を引きつける所以であり、津軽三味線の魅力のひとつなのです。


楽曲

演奏楽曲は主に「津軽三大民謡」及び「津軽五大民謡」です。

 津軽三大民謡  津軽五大民謡
・津軽じょんから節
・津軽よされ節
・津軽小原節
 
 
・津軽じょんから節
・津軽よされ節
・津軽小原節
・津軽あいや節
・津軽三下がり

これらの楽曲は、独奏に限らず、唄の伴奏(唄づけ)においても唄い手の即興に応じた演奏をしなければならないため、高度な知識と技術が必要と言われています。


津軽地方で今日も鳴り続ける津軽三味線、激情繊細の世界を、DVDの迫力ある映像でぜひお楽しみください。


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