第16回 津軽三味線の演奏がもっと楽しくなる、”津軽民謡”について

今回は、第3巻「津軽三味線」で演奏されている「津軽民謡」についてです。
”津軽民謡の背景を知ると、また別の楽しみ方もできますよ”というお話。(^-^)

民謡とは

民謡とは、長唄と同様、邦楽(日本の伝統音楽、古典音楽)の一種です。
「民謡」という言葉自体の歴史は意外にも浅く、「folk song(民衆の歌)」の訳語として明治中期頃から使われ始めました。
しかしそれより遥か前から、地域や時代によって俚謡(りよう・さとうた)、風俗(ふぞく)、鄙歌(ひなうた)など、様々な呼ばれ方で伝えられてきました。
現存する民謡の最古のものは室町時代頃と推定されているので、その歴史は600年以上あることになります。


唄の種類(内容)は、遊び唄、仕事唄、祭り唄、祝い唄、子守唄、宗教唄などに分類されます。
それらが時代を超えて唄い継がれ、現存する民謡はなんとおよそ58,000曲ともいわれています。

弘前市 りんごの実
     弘前市 りんごの実

津軽民謡と津軽三味線

津軽三味線
     津軽三味線の演奏

民謡は、その地方の気候やその土地の人々の気質などで、地域ごとにそれぞれその曲調に特色があります。
多くの民謡は唄のみで楽器が加わることが少ないのに対して、津軽民謡は、三味線にのせて唄われ、さらに手踊りも加わります。
そして、その三味線演奏は、音楽雑学ブログ「第4回 津軽三味線と他の三味線って何が違うの?」でご紹介したように、即興で演奏されます。
つまり演奏者によって構成が違いますし、また、同じ奏者でも毎回変化があるのです。


楽曲はテンポがよく、リズミカル。そして即興性。
これにより抒情的な表現はもとより、華やかでダイナミック、即興の面白さも演出されるところが、津軽民謡、津軽三味線が絶大な人気を誇る大きな理由の一つです。


津軽民謡の楽曲

楽曲は、主に「津軽三大民謡」及び「津軽五大民謡」です。
時代や演奏者の即興性により様々な歌詞が生まれたため、楽曲ごとに数多くの歌詞が存在しています。

 津軽三大民謡  津軽五大民謡
・津軽じょんから節
・津軽よされ節
・津軽小原節
 
 
・津軽じょんから節
・津軽よされ節
・津軽小原節
・津軽あいや節
・津軽三下がり

津軽じょんから節

起源は新潟市十日町市の「新保広大寺」といわれています。
農地の耕作権をめぐる土地争いにより、広大寺の和尚を追い出すために歌った「悪口唄」が越後で大流行し、やがて全国に広まり、それが津軽独自に変化したものが「じょんから(じょんがら)節」です。

慶長2年(1597年)、青森県 千徳家の浅瀬石城(あせいしじょう)が敵の大軍に攻められ落城しました。 その際、城下の寺も荒らされ、寺の和尚・常縁(じょうえん)にも敵の追手が及びました。 東の山まで追い詰められた常縁和尚は、絶体絶命の状況に覚悟を決め、がけの頂上から浅瀬石川に飛込んで自ら命を絶ったそうです。 常縁和尚の墓が建てられた河原の一帯は、のちにその名前をとって「常縁河原(じょうえんかわら)」と名付けられ、その村人たちが他大名の下で厳しい農作業に従事していた折に、かつて栄えた千徳家を偲んだ唄「じょんから節」を語り継いでいったとされています。

じょんから節には旧節、中節、新節、新旧節などがあり、旧節は明治初期から中期、中節は明治後期から大正中期にかけて唄われ始め、新節は昭和に入ってから完成されました。

旧節・中節:テンポが良く、踊りをつけても唄われる。
      踊りは非常に艶やかで、唄、踊り共に全国で愛されている節。
新節・新旧節:洗練された調子の唄と、三味線の「前弾き」が特徴。
       近年の津軽三味線(曲弾き)ブームの火付け役となった節。

楽器の世界コレクションDVD 第3巻「津軽三味線」では、多田あつしさんと岩崎しずかさん演奏による「津軽じょんから節」が収録されています。


津軽よされ節

その起源や語源は諸説あり、主に以下のようなことがいわれています。

・寛永初年(1624年 江戸時代)、現在の黒石市付近の農村に住んでいた百姓の与三郎が豊年祝いの席で唄った唄
・「貧困や凶作の世は去れ!」という「世去れ」
・「余は去るので後は頼む」という「余去れ」
・「よしゃれ」つまり「およしなさい」を意味とするもの
・人が集まるように促す「寄され」

元々は7.5調の曲の単調な唄でしたが、津軽の「嘉瀬の桃」と呼ばれる民謡の名手・黒川桃太郎(明治19年~昭和6年)が、古くから伝わる津軽民謡のいくつかを、今のようなかたちに仕立て直したそうです。
桃太郎は、三味線を手に独特の節回しで、即興で歌詞をつくり、節を変えました。 単調な津軽のよされ節も「あんこ入り(※曲の中に別な曲をはさむ唄い方)」として、「調子変わりのよされ節~」のイントロがつき、さらに元歌に7.5調三行の歌詞が加えられて定着していったのが今日の「よされ節」となっています。


津軽小原(おはら)節

もとは「津軽塩釜甚句(つがるしおがまじんく)」と呼ばれる酒盛り唄であったといいます。
それを黒川桃太郎が、元々7775調であった「塩釜」の上の句と下の句の間に75調の「あんこ」を挿入したそうです。
その後、昭和9年頃大流行していた「鹿児島小原節」にあやかろうと曲名が変わって、現在の「津軽小原節」へと変化していったと言われています。
しみじみと語るタイプの歌い方と、傘踊りで有名な「鹿がホロホロ泣いている…」のテンポの速い歌い方などがあります。


津軽あいや節

九州・熊本県の「牛深ハイヤ節(うしぶかハイヤぶし)」が、津軽に伝わって「津軽あいや節」になったと言われています。
「ハイヤ節」は「ハイヤーエー」と高音で歌い出し、7775調の歌詞の下の句第4句の前に「サーマ」というリフレインが挿入されるのが特徴的ですが、「アイヤ節」でも冒頭で「アイヤーナー」をたっぷり歌い、後半には「ソレモヨイヤ」といったリフレインが入ります。

しっとりとして情緒のある、三拍子特有のなんともいえぬ物悲しさが魅了する曲です。 また、強弱のある唄の節回しが大変難しく、三味線も高度な技巧が必要な曲でもあります。

楽器の世界コレクションDVD 第3巻「津軽三味線」では、唄:嶋田礼花さん(弘前大学津軽三味線サークル)、三味線:多田あつしさんによる「津軽あいや節」が収録されています。


津軽三下がり

原曲は、長野県の馬方(馬を使って人や物資を運ぶことを業とする人。馬子とも言う。)のことを唄った「馬方三下り」と呼ばれた唄で、それが津軽に伝わった際に津軽芸人たちによって技巧的に仕立てられ、手踊りも人気を呼びました。
「津軽三下り」は、「津軽馬方三下り」の略称です。
三下り調子の三味線伴奏で唄う「津軽三下り」は、哀調溢れ、その華麗な三味線の技法と艶やかな踊りもとても人気が高い曲です。 しかし、その節回しは大変難しく、なかなか唄える人も少ないようです。



その他の津軽民謡

津軽民謡は、五大民謡の他にもたくさんあります。
りんご節、ねぷたばやし、津軽数え唄、津軽甚句(津軽どだればち)、などなど。

中でも、私が驚いたのは「弥三郎節」です。
これは文化5年(1808年)に生まれた、全国の民謡の中でも珍しい「嫁いびり」を題材にした数え唄です。 それだけでも驚きですが、その軽快な曲調とは裏腹に、なんともすごい歌詞で・・。


– 歌詞解説 –

村のはずれに住む弥三郎が、何人にも頼んで、やっとのことでお嫁さんを貰った。
貰ってはみたものの、母親がその嫁を気にいらず、嫁が朝早くから晩まで働いてもいびり続ける。
日に三度の食事も満足にとれず、畑仕事、家畜の世話、そして台所の水仕事などで、全ての指に血がにじむほどに働かされる。
義両親、兄弟、姉妹皆に使われるが、気の弱い弥三郎は親兄弟に気兼ねして嫁をかばうこともできない。
どんなに働いても、どんなに稼いでも、髪に付ける油さえ許されない。
この家のものは皆 鬼だ!こんな家とわかっていれば決して嫁いできたりはしなかった!

ぼた餅も嫁には食わせないで親子で食べる。
祝いの蔵開きの日にも、蔵も開けないで嫁いびる。

結局、どこから嫁をもらおうとも婆様には気に食わない。
こぼす涙で籾つき(籾(もみ)から殻をはがして玄米にすること。湿気がないと殻が散乱して舞い散ってしまう。)をする。

嫁はついに泣き泣き暇をもらい、どうにか帰省した。


歌詞だけ見ると、とても涙なしでは聴けない唄ですが、それが数え唄らしくテンポの良い曲になっています。このギャップが・・。(´д`lll)

この唄にはさらに続きがあって、瓦版売りがこの唄を唄い歩いたところ、弥三郎一家はたまらず村から逃げ出したとのことです。
もしかしたら実家へ帰ったお嫁さんによる復讐だったのかも・・?



民謡は現代の標準語ではないため、分かりづらく、なんとなくとっつきにくいイメージがありますが、曲やその時代背景、また歌詞の意味を知った上で聴いてみるとさらに色々と興味深いですね。(^-^)


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