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第12回 ピアノとチェンバロの違い – 楽譜編 –

ピアノとチェンバロの楽器の違いについては、「ピアノとチェンバロの違いを、分かりやすく解説!」でご紹介しました。
発音の仕組み、音の特徴、演奏技法、鍵盤数、などなど・・、ピアノとチェンバロはまったくの別物だ!という程のたくさんの違いがありました。

しかし、例えばチェンバロ用に作られたJ.S.Bach(バッハ)の曲など、現代ではチェンバロ曲をチェンバリストでなくてもピアノで一般的に演奏しています。
楽器自体の特徴がこんなに違うのに、もし同じ楽譜なら全然違う曲になってしまいそうな・・?

そこで今回は、「ピアノとチェンバロの違い – 楽譜編 – 」として、当時の原典版の楽譜と、現在ピアノ用に市販されている楽譜の違いを見て行きたいと思います。


通奏低音

実はチェンバロは、通奏低音(つうそうていおん)という主にバロック音楽において行われる伴奏形態で演奏されています。

通奏低音とは、楽譜上には低音部の旋律のみが示されているもので、演奏者はその通奏低音に適切な和音を付けて演奏するのです。


通奏低音
数字付き低音とそのリアライズの例
Wikipedia より
記譜された音に和音を付け加える作業(リアライズ)を補助するために、音符に和音の構成音の記譜音からの音程を示す数字を付けてある数字付き低音もあります。
なんだかコードネーム(和音記号)と似ていますね。

数字は低音からの音程の度数を表すもので、例えば”3″とあれば、低音の上3度の所に音があることを示しています。
ただし、実際にそれらの音をどのオクターブに置くかは演奏者に任され、演奏者は和声的に正しくなるように、4声や3声で演奏しなければなりません。
当然和声的な正しさだけでなく、音楽的に優れたものであることが要求され、且つ、アレンジした自由な装飾を付けることも求められるのです。

その他にも、原典版(作曲者が書いただけ)の楽譜には強弱記号もスラーも指番号も、曲調を構成する指示すら書かれていません。
そのため、実用性を求める声に応じて、作曲者の弟子たちや楽譜編集者たちによってだんだん手が加えられ、現在のピアノ楽譜のような「解釈版」の楽譜が出て来ました。
ということはもしかしたら、現在の “とっても親切” なピアノ楽譜は、当時の作曲者本人たちのイメージと違うかもしれませんね。

原典版の楽譜で演奏するチェンバロは、演奏者によって、また同じ演奏者でも毎回1つとして同じもののない、即興での演奏なんですね。
次にチェンバロの演奏を耳にする機会には、ぜひその即興演奏にも注目して聞いてみてください。


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第9回 あっ!? あの国民的アイドルと映ってるピアノは!

2013年3月6日発売の某テレビ情報誌のSPグラビアに、
あの国民的アイドルグループのリーダー、大野君が、初期モデルのピアノと2Shotで掲載されていました!

編集部の公式Twitterによりますと、
「撮影を行ったチャペルの中にピアノが。
二宮和也さんのソロ曲「虹」の前奏を弾いていました。」

そのピアノがこのピアノなのかな? (^-^)
これは音楽雑学ブログ 第7回でもご紹介しましたが、
まだチェンバロ時代の名残りがある初期モデルのピアノで、現在のピアノとは白鍵と黒鍵の逆転しているタイプですね。

下鍵盤に黒鍵を使っていたのは、「手を白く美しく映えさせるため」という理由もあったとされていますが、・・・確かにより美しく、素敵な手に見えました。 (*`・ω・)ゞ

大野君も弾いたという初期モデルのピアノは、「プレイエルのピアノ」に近い音色だったのではないかと思います。

プレイエルのピアノ  第2巻 プレイエルのピアノ

そして、現在のピアノとは白鍵と黒鍵の逆転していた「チェンバロ」は、こちらからご覧頂けます。

ブランシェのチェンバロ  第1巻 ブランシェのチェンバロ


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第6回 ひとはなぜ楽器を演奏するのか?

今回のブログは、ちょっとしたティー・タイムのつもりで軽く読んでいただけるとうれしいです。


「セロひきのゴーシュ」

今回取り上げるのは、宮沢賢治の「セロひきのゴーシュ」というおはなしです。読んだことのある方はたくさんいらっしゃると思います。

チェロ
田舎のオーケストラの団員であるゴーシュが、演奏会を前にして、最初はみんなの足を引っ張るような演奏をしていたのに、短期間で見事に腕を上げ、本番では演奏会成功の立役者になるほどになったその過程のおはなしです。
ゴーシュは、団の練習の後、家に帰ってまたチェロをごうごうごうごう弾くわけですが、そこに毎日いろいろな動物たちが訪れて、いろんな理由でゴーシュにもっとチェロを弾いてくれるようにせがみます。そして結局動物たちに付き合って毎日明け方まで練習する羽目になるのです。
その動物たちの何気ない一言ひとことが、まさに音楽の本質を突いていて、ゴーシュはその激しい練習を通じて開眼し、すばらしい演奏ができるようになるのです。
私は大人になってこのおはなしを読んだとき、子どものときにはわからなかった感動を覚えてほんとうに心がふるえました。音楽のみならず、物事を極めることの厳しさ、難しさ、その深さ、そしてがんばったあとに到達できる高みとひとつの達成感、そんなことが心にストレートに伝わってきたのでした。

ひとはなぜ楽器を演奏するのか?

さて、ひとはなぜ楽器を演奏するのか?ゴーシュのようにプロでなくても、大昔からたくさんのひとが楽器とともに生きてきました。

・楽器がそこにあるから。
・音が好きだから。
・そこに音で表現できる世界があるから。
・その音の中に自分自身をのせて、それを聴いてくれる人たちと音楽を介した時間を共有したいから。

そんなことかもしれないと思います。

楽器の世界コレクションDVDで取り上げる楽器の演奏者の方々は、やはり楽器に魅せられ、厳しい練習と努力を重ねてこられています。その目に見えない不断の努力がすばらしい演奏を生んでいるのだと思うと、感謝して聴きたい気持ちになります。

演奏者さんだけでなく、楽器たちもまた、製作者の想いがこもったものです。そんな、すばらしい楽器と演奏者さんに囲まれたDVDコレクションをぜひお楽しみください。


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第5回 ショパンとプレイエルのピアノ


今回は、当シリーズ第2巻に収録されている「プレイエルのピアノ」についてです。 このピアノは、19世紀のピアノの詩人フレデリック・ショパンが愛用したことで知られています。プレイエル社の歴史はショパン抜きに語ることはできず、またプレイエルのピアノなくしてショパンの名曲の数々はなかったのではないかと言われるほどショパンとプレイエルのピアノは深い関係性があるのです。

ショパンとカミーユ・プレイエル

ショパンが祖国のポーランドを離れ、1831年に21歳でパリにきたとき、当時のピアニストの第一人者として広く知られ、またプレイエル社の役員として経営にも携っていたフレデリック・カルクブレンナーの演奏を耳にします。ショパンはこの時プレイエル・ピアノの音色の美しさや、静かで表現力豊かで魅力的なタッチに深く魅了されました。 やがてプレイエル社2代目社長、カミーユ・プレイエルによってショパンの才能が見出され、深い友人関係となり、名高いプレイエル社のサロン「サル・プレイエル」での演奏会でショパンは歴史的なパリデビューを飾ります。 ショパンがパリで行った4度の公式コンサートは全て、このプレイエルサロンで行なわれました。 ショパンとカミーユ・プレイエルは、親交を深め、ともに若かりしころロンドンにて豪遊したり、ショパンの結核治療(マヨルカ島での転地治療)の際には、プレイエル社との「24の前奏曲」作品28の出版契約により、プレイエルがその資金援助をしたとも言われています。 また、ショパンの葬儀においてその棺を担いだ四人の内の一人が、カミーユ・プレイエルだったそうです。


ショパン時代のプレイエル・ピアノの特徴

・鍵盤が軽い

・繊細でやわらかく澄んだ音色で、音量があまり出ない反面、弱い音でも音色が変化する

・高音にいくほど音量が小さい

ショパンのピアノ楽譜は、高音域へいくに伴って、クレッシェンドが書かれてることがよくありますが、これは音を大きくするという意味ではなく、プレイエルのピアノで弾く前提で、高音域に移行しても同じボリュームを保つためにクレッシェンドで弾く・・という意味だそうです。

・音色が美しく、「シンギングトーン」と呼ばれる歌声のような伸びのある響き

・鍵盤が完全に上がりきらないと次の音が出ない(連打ができない)

当時プレイエル社と並び、エラール社のピアノも有名でしたが、音量もあるエラールはリストが好んで弾いたことで知られています。エラール社が開発したダブル・エスケープメントの機構(グランドピアノで連打を可能にする仕組み)によって素早い連打が可能になり、それにより、リストが「ラ・カンパネラ」を改訂したと言われています。このダブル・エスケープメント機構は、現在でも世界のグランドピアノで採用されています。

・まるで美術品のように繊細で美しいデザインで、品格が非常に称賛されていた


ショパンのプレイエル・ピアノへの想い入れ

ショパンが晩年(1849年・39歳で死去)所有していたピアノは、プレイエル、ブロードウッド、エラールの三台でしたが、ある弟子に語った「疲れているとき、気分のすぐれないときにはエラールのピアノを弾く。気分が良く体力があるときは、プレイエルのピアノを弾く。」という言葉がとても有名です。 これは決してエラールピアノが劣っていたということではなく、プレイエルピアノが僅かなタッチによってすら応える表現力をもっていたのに対し、エラールは逆に多少乱雑に弾いてもそれなりに破綻せず、美しく鳴るピアノであったからです。ショパンは繊細な自分のタッチを完璧に表現してくれるプレイエルピアノに、とても深い想い入れがあったのです。
28歳の時(1838年)、ショパンは恋人のジョルジュ・サンドとマヨルカ島へ移り、約1年滞在します。これはスキャンダラスな噂が取り巻くサンドと付き合いだしたことによる人々の好奇の目を避けるためと、ショパンの結核療養のためでした。 ショパンのために、滞在先のバルデモーザ修道院にはマヨルカで作られたピアノを運び入れられたのですが、ショパンは「どうしてもプレイエルでないと嫌だ」と言ったそうです。そこでカミーユ・プレイエルに直接交渉し、プレイエルとサンドの資金援助によりプレイエル・ピアノをマヨルカまで届けさせたというエピソードも残されています。


絵画とプレイエル・ピアノ

19世紀のフランスでは、音楽が一般にも広がり始め、特にブルジョア等の裕福な家庭では、その令嬢達にピアノを習わせる事が一つのステータスとなって流行していました。 そんな時代のフランス印象派の代表画家、ルノワール(1841-1919年)は、ピアノを弾く人物をモチーフにした絵画を5点残しています。 最も有名な「ピアノに寄る少女たち」(写真 左)にはプレイエル・ピアノが描かれており、プレイエルが一世を風靡した時代を今に伝えています。

ルノワールとピアノ
Pierre-Auguste Renoir
Girls at the Piano, 1892
プレイエルピアノ
左絵に描かれたプレイエルピアノ、ロマンティカの復刻版
画像:プレイエル社カタログより

当時も今も多くの人々を魅了し続けるプレイエル・ピアノ。
あなたも本DVDでその魅力に触れてみてください。


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第2回 18世紀フランスの作曲家たち

先日、浜松市楽器博物館で行われた中野振一郎さんのコンサートに行ってきました!今回は、なんとブランシェのチェンバロでバッハやウィーン音楽を演奏するという新しい試み。最初は別の収録の合間に冗談で弾いていたとのことですが、この美しい響きは冗談にしておくにはもったいない、ということになったのだそうです。演奏が始まると会場の雰囲気は一変。優雅な18世紀のヴェルサイユから、にぎやかな19世紀のウィーンへ。時代も国も違う異色の組み合わせだけに、「ブランシェ(のチェンバロ)が怒ってしまわないように」と中野さんはおっしゃっていましたが、とても素敵なコンサートでした!

さて、このコーナー第2回はDVD第1巻に収録されている曲の作曲家について、ちょっとだけご紹介します。当時のフランスを代表する面々というと、私はどうしても「ベルサイユのばら」の登場人物を何人か思い浮かべてしまいますが、どんな人々だったのでしょうか。


フランソワ・クープラン(1668~1733)

F.クープランはロココ音楽を代表する音楽家です。クープラン家は代々王室お抱えの音楽一家でしたが、中でもF.クープランは特に偉大な存在と言われています。後世の作曲家にも多様な影響を与えており、ラヴェルの作品の中には「クープランの墓」というタイトルの曲があります。甥のアルマン・ルイ・クープランも作曲家として活躍しましたが、彼はブランシェ家の娘と結婚しています。王室お抱えの音楽家と楽器職人の家という組み合わせ、なんだか素敵ですね。

F.クープラン
F.クープラン

ジャン・フィリップ・ラモー(1683~1764)

ラモーもまたロココを代表する作曲家です。「劇場的な華やかさと旋律美を兼ね備え、鍵盤楽器演奏の名手といえばこの人物」と中野さんも評しています。若い頃は音楽ではなく法律を学んでいたようです。フォルクレが作った「ラモー」という曲があるのですが、こちらは低音がきいた力強い曲になっています。「優しい訴え」は繊細で控えめな女性のような印象があるのですが、作品と人物はまた別物のようです。

J.Ph.ラモー
J.Ph.ラモー

ジャック.デュフリ(1715~1789)

デュフリは当時のフランスでとても人気の高いチェンバロ奏者でした。「三美神」はブランシェの音色の美しさを最大に引き出すことができる名曲。彼が亡くなったのは1789年7月15日、フランス革命勃発の引き金となったバスティーユ牢獄襲撃の翌日です。事件にびっくりしたのでしょうか?きっとその作品のように繊細な人だったんだろうなあと想像しています。


アントワーヌ・フォルクレ(1671/2~1745)

フォルクレはヴィオールの奏者で、彼の息子がチェンバロ用に編曲したのだそうです。「ジュピター」では最後に全能の神ゼウスが雷が落とす描写がありますが、みなさんはどの場所かわかりましたか?彼には「悪魔」というあだ名がつけられていたそうですが、一体何をしたのでしょうか。気になるところです。

A.フォルクレ
A.フォルクレス

250年も前の作曲家たちですが、残された記録から少しずつ人物像が浮かび上がってきます。一度、フランス・ヴェルサイユに行って彼らの足跡を探してみたいなあと思いました。


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